今日21日、高レベル放射性廃棄物の最終処分地のあれこれを担っている原子力発電環境整備機構(NUMO)が八戸市で開催した対話型全国説明会に参加してきました。ちょうど12月議会の質疑でとりあげた問題です。
NUMOはあれこれ説明していましたが、青森県を高レベル放射性廃棄物の最終処分地にしないことだけははっきりしています。この点は国が遵守すると何度も約束しています。しかし、30年〜50年で青森県から持ち出すという貯蔵管理期間についての「国の遵守」は日本原燃が守るように指導することにとどまっています。
全体を通して一番感じたのは、リアリティが欠けているということ。
もともと、高レベル放射性廃棄物の最終処分など、世界のどこでも実行されていません。国とNUMOは、建設がはじまったフィンランドと建設場所が決まったスウェーデンの話をことさら強調し、あたかも確立された技術であるかのように言いますが、それは未踏の分野を確立された技術であるかのように言っているにすぎません。リアリティがなさすぎます。
また、国とNUMOの説明は、「安全だから大丈夫」と繰り返しているだけようにも聞こえます。そんなに安全なら経済産業省の地下に埋めれば? と思ったりもして。「危険はない」と言えば言うほど、万年単位で地下深くに埋める必要性にリアリティを感じなくなってきました。
高レベル放射性廃棄物については、国と青森県との約束は果たしてもらわないとだめですが、「(貯蔵管理期間を終える)2045年4月まであと25年。その間に最終処分地は完成するの?」と問われても「がんばります」という答えしか返ってきませんでした。貯蔵管理期間を守ることにも、リアリティを感じません。
原発を動かせば放射性廃棄物が出てきて、これを再処理すれば地層処分が必要な廃棄物がうまれることもはじめから分かってきた話。それをどうするのかはっきりしないまま、原発を動かし、再処理を海外に委託してきた結果、解のない課題に直面しているわけです。結局、日本の原発政策は「先送り」という基本姿勢とともにあった、ということになります。
課題の先送りが原発の宿命であるなら、原発稼働の判断は極めて無責任です。廃棄物をいま以上に増やさない選択をし、技術の発展を待つことこそ、もっともリアリティのある選択だと思います。
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