今日(12月24日)の朝日新聞に、愛知県知事の大村秀章さんが登場し、あいちトリエンナーレの問題についてのインタビューを受けていました。

テレビで知る範囲ではありますが、これまでの彼の主張に共感できることは少なく、いい印象がない政治家でしたが、このインタビューはそんなイメージを一変させました。

なお、ここでの感想はインタビューを読んだ限りのものです。愛知県政全般や大村知事の全体評価をくだすだけの材料を私はもっていません。当然ですが「今日から俺は大村派だ」などという気持ちもさらさらありません。そもそも個人への無批判な追随でものを考えたこともありません。一致点での共同が何よりも大事だと思う私にとって、このインタビューはとても大事なことが語られていると思った次第です。

いくつか引用します。

(今回の騒動は)立場の違う人を認めない分断社会を作り上げてしまった。その現実が可視化されたのではないでしょうか。日本社会が危険だ、日本は戦争に向かっているーーそういう警鐘を聞くたびに僕はずっと『それは言いすぎだ。日本は成熟した民主主義国家だよ』と思ってきました。けれど今回の件で初めて、日本は危険な国、危険な社会になりいつつあると感じました。

(分断社会の政治とは)極端に立場の違う人たち同士が、互いを徹底的に誹謗・攻撃しあい、自分の支持層を固めようとする。そういうことが公然と行われる社会になってしまいました。

加えて、相手をおとしめるためにはウソを言っても恥じない空気も広がっています。

(子どものころにいじめられ、侮蔑された経験にふれ)呼んだ方は忘れちゃうんですが、言われた方は覚えているんです。痛いから。悲しいから。世の中には、やられた者でないと分からないことがあります。

日本だけでなく世界各地で、分断をあおる政治が台頭しています。こうした分断社会は日本が目指すべき社会ではありません。分断ではなく社会の『統合』に役立つ政治を育てていく必要があります。異なる立場の人々が互いを否定せず共存できる懐の深い市民社会を目指すべきです。そういう社会をもう一度作りたいという願う有権者は少なくないはずです。

「人間が百人いたら百人それぞれに異なる考えがある。違いを認めないとなったら独裁です」ともいいます。青森市長が、自分に意見してくる勢力を「足を引っ張る勢力」とレッテルをはって耳を閉ざすのは、まさにこの類。政治的立場以前に、民主主義社会の一員としての資質の問題だと思うわけです。

私は、意見や立場は違うからこそ、共有できる一致点にしっかり足を踏みしめて議論を重ねていけば、よりよい社会を築く共通の足場ができるはずだと思ってきました。県議会の論戦も、特に原発・核燃のような明確な対決軸がある問題であればあるほど、それを意識してきました。それが懐の深い市民社会をつくる力になればいいなと思っています。そんな思いを共有できるすべての人といっしょに。